今は名刺交換よりLINE交換がメイン。
それでも名刺を持って人に会いに行きたい

第二編集局長兼『bis』編集長
青木宏行

1983年入社。業務部配属後『FLASH』へ。
FLASHエキサイティング編集長を経てFLASH編集長に。
エンタテインメント編集部を立ち上げ、
AKB48や坂道系の写真集、DVD等を手掛け、
この10年で累計3,774,000部。
メンバーやファンの間では「あおきー」の通称で有名。
2019年より現職。

週刊誌時代に、
年1,000枚の名刺を集めたのが財産

入社5年めで『FLASH』に異動して、1年で1,000枚以上の名刺を集めました。当時、「週刊誌をやるなら1日3人は人に会え」と言われていて、誰よりもフットワークよく動いていたと思います。最初は政治・ニュース担当だったので、新聞・テレビ各社の番記者や政治ジャーナリスト、議員秘書まで網羅して知り合いでなければ情報が得られません。新聞の署名原稿を見て直接電話したり現場で声をかけたり、でもいちばん大きかったのは業務部(印刷等の進行を担当する部署)の4年間に培った人脈です。いつか編集をやりたいと思い、マスコミの勉強会から大学の先輩など誘われればどこにでも顔を出し、一晩で2、3の会合をハシゴすることも。このとき知り合ったマスコミの先輩たちに、いろいろな人を紹介してもらって人脈を増やしていきました。

政治家もAKBも、
取材のアプローチの仕方は同じ

いろいろな政治家との会食にも参加させていただいたのも、永田町人脈のつながりから。ニュース担当として、政治・北朝鮮・カルト宗教など各ジャンルに信頼できる新聞記者やジャーナリストの知り合いを作って、まずそのブレーンに相談して、取材相手を紹介してもらうのが近道でした。AKBグループと仕事するようになったのも出版社の知り合いに会合に誘われたのがきっかけ。その席で一緒になった秋元康さんの事務所関係者に声をかけられ、秋葉原のAKB48劇場に公演を観に行き、その熱量に感動して、その後、秋元康さんのインタビューやAKB48や乃木坂46の写真集など、どんどん広がっていきました。AKBグループにも選挙があったことが、永田町を担当していた僕に刺さったのかもしれません。国会議員もAKBも面白い人物やネタを取材するという意味では、アプローチの仕方は変わらないと思います。新しいメンバーが入ると毎年名鑑を作って紹介しているので、議員年鑑を覚えるように顔や名前の漢字まで頭に入っています。

33年間走り続ける原動力は
才能ある人たちとの出会い

人とのネットワークが広がっているのは20代の頃に走り回って築いた人脈のおかげです。他社の先輩や同年代、後輩ともよく飲みに行って、人脈を紹介しあったりしました。今は幹部になっている方も多いですが、今でも会って情報交換をしたりしています。45歳で出会ったAKBグループや坂道グループの仕事は、その後の編集者生活を大きく変えました。秋元康さんという時代を代表するプロデューサー、そしてそれに関わっている一流のクリエイターの方の仕事を間近で見たり、インタビューさせていただいたりすることで、たくさんの刺激をいただきました。グラビアや写真集制作においては、たくさんの素晴らしいカメラマン、デザイナー、スタイリスト、ヘアメイク、編集者と出会えましたし、名だたるクリエイターたちがもの凄い熱量とクオリティで作るコンサートやMV、楽曲、ドラマ、舞台は、まさに「才能×才能」が奇跡を起こしている感じがします。そんな現場を間近で見たり、さまざまな業種の人との出会いが、編集者として33年間、走ってくることができた原動力となっていると思います。

今ではLINEが名刺代わり。
それでも名刺を持って人に会いに行く

最初のころはあいうえお順でフォルダに名刺整理していたけど、今は箱にぎっしり入れて引き出しにどどっと入れてあります。最近は名刺交換よりも、もっぱらLINE交換。ツイッターのフォロワーは36,000人います。フォローやいいね! することでつながりができるSNSは仕事にも不可欠です。編集者は名刺1枚で誰にでも会える仕事です。でも時の人に会うためには準備が必要です。僕がFLASHに配属されたころは、まだパソコンもなく、企画会議の翌日は必ず国会図書館か大宅壮一文庫のどちらかに行って取材相手の調べ物をしてから、詳しい人に話を聞きに行ってネタを探していました。今はかなりの情報がWebで簡単にわかる便利な時代だけど、名刺を持ってたくさんの人に会いに行くことが10年後、20年後につながるんじゃないかと思います。

紙だけでなくコラボ商品やイベント、
社内でも層の厚い編集部を率いる

今尾朝子
『VERY』編集長